ヘテロカプサ赤潮による漁業被害

 一般的に有害な赤潮が発生すると、水産生物が大量に斃死することがある。これまで日本で発生してきた有害な赤潮、例えばギムノディニウムやシャットネラ属による赤潮では、ハマチやマダイといった養殖魚に大きな漁業被害が発生してきた(Honjo 1995)。
ところが、ヘテロカプサ赤潮では養殖魚には全く悪影響が見られていない。赤潮が発生している所でも魚が平気で泳いでいる光景をよく目にする。ヘテロカプサ赤潮で被害を受けるのは「二枚貝」が圧倒的に多く、これまで被害を受けた二枚貝は、アコヤガイ、アサリ、マガキ、カガミガイ、シオヤガイ、バカガイ、ヒオウギ、ホトトギスガイ、マテガイ、ムラサキイガイなど、ほとんどすべての種類に及んでいる(下図参照)。

 赤潮で死んだアコヤガイの映像(1992年三重県英虞湾)

 赤潮で死んだマガキの映像(1995年広島湾)

 赤潮で死んだムラサキイガイの映像(1995年広島湾)

 赤潮に襲われたアサリ漁場(1998年広島湾)

 赤潮海水中のガザミ(左)とクサフグ(右)

 さらに、サザエ、アワビ、トコブシといった水産上重要な「巻貝」もヘテロカプサによって影響を受ける(Matsuyama et al. 1998)。しかしながら、前述の通り魚類、あるいはエビ・カニなどの甲殻類は全く影響を受けない。このように特定の生物群(この場合軟体動物)だけを選択的に斃死させる赤潮生物は世界的に見ても前例がない。
 

ヘテロカプサが貝類に被害を与える濃度

 ヘテロカプサの培養株を使った斃死実験によると、アコヤガイ稚貝の場合、5,000〜10,000細胞/mlあたりから顕著なへい死が始まり、48時間で約半数の個体がへい死する(Nagai et al. 1996)。その他の二枚貝もほぼ同じ細胞密度から影響が見られるが、へい死に至る期間は、貝の種類や生理状態によってかなり変動する。現場の赤潮では1,000〜2,000細胞/mlといった密度でもへい死が確認されており、1,000細胞/mlを越えると貝の生残に影響を及ぼすと考えた方が良い。これは海水が変色し始めると貝が死に出すという観察結果とも一致する。
 さらに詳細に調べると、赤潮の濃度よりももっと低い密度であっても二枚貝は影響を受ける。貝は通常海水中のプランクトンを鰓で濾し取って食べているが、この摂餌活動は、ヘテロカプサがわずか、50〜100細胞/ml存在しているだけでほとんど停止してしまう(Matsuyama et al. 1997)。

各種二枚貝のろ水活動とヘテロカプサ細胞密度との関係
 
 

ヘテロカプサが貝類に被害を与えるメカニズム

  これまで二枚貝は赤潮に強いと信じられてきた。赤潮で二枚貝が死ぬときは、ほとんどは酸素欠乏や硫化水素の発生など二次的な要因によるもので、赤潮生物に直接殺されることはまれであった。ヘテロカプサの赤潮で貝がへい死している時に観察した結果、実際の赤潮現場でも溶存酸素が十分にあるにも拘わらず、へい死は起こっている(Matsuyama et al. 1996)。このことから、へい死の原因は従来言われていた酸素欠乏などの影響ではない。
 貝の詳しいへい死機構は現在研究中であり、いまのところ完全には解明されていない。ヘテロカプサに暴露された二枚貝は、初期に外套膜や鰓の異常な収縮、クラッピング(激しい開閉運動)、閉殻、心拍数の減少といった激しい拒絶反応を引き起こし、麻痺状態を経てへい死する(Nagai et al. 1996)。このようにヘテロカプサの毒性は強烈であるが、培養ろ過水・赤潮海水ろ過水のいずれにも毒性は認められない(下図)。さらに不思議なことに、遠沈や超音波操作などで物理的な衝撃が与えられた細胞や、ある種の界面活性剤やトリプシンで処理された細胞にも毒性は認められず、むしろ貝に順調に摂食される。従って、細胞内に悪影響を引き起こすような毒性物質が含まれているとは考えられず、ヘテロカプサの細胞表層にあると考えられる不安定な物質(タンパク質?)が、貝に対して強い刺激を与えているのではなかいと考えられる(Matsuyama et al. 1997)

ヘテロカプサを物理処理した時の毒性の変化
 

ヘテロカプサを薬剤処理した時の毒性の変化
 

風評被害の問題
 ヘテロカプサの赤潮で人体に何らかの害作用があった事例はいまのところ無い。同様に魚類への被害も報告されていない。また、本種の赤潮発生海域から収集した二枚貝を、マウス検査に供しても毒性は認められていない。このことから、Alexandrium属やDinophysis属のような人体に対して有毒な物質を産生する「有毒プランクトン」とは基本的に性質が異なるようである。従って、ヘテロカプサ赤潮が発生した海域から水揚げされた二枚貝は全く安全である。
 ところが、直接的な被害の他に、消費の減少、市場価格の下落などの二次被害(いわゆる風評被害)が問題となっている。赤潮や貝毒にはこうした二次被害はつきものである。これを防止するには、広報・啓蒙活動を徹底するに限る。貝毒・ヘテロカプサ・食中毒など貝類養殖にまつわる負の情報をきちんと整理し、正しく消費者に理解してもらう努力は重要である。
 

ヘテロカプサの毒性の生態学的な意義

 海洋生物の作り出す毒素の多くは、自らを捕食する外敵から身を守るための「防御物質」として働いている。ヘテロカプサの最大の捕食者は動物プランクトン、濾過性捕食者、クラゲなどである。実はヘテロカプサは自らの捕食者である動物プランクトン(微小な繊毛虫類)やろ過性捕食者(二枚貝やホヤ)の摂餌活動を強力に阻害したり死滅させたりする作用がある(Nagai et al. 1996, Matsuyama et al. 1997, Kamiyama and Arima 1997)。また、同じ仲間の渦鞭毛藻を接触するだけで殺すこともある(Uchida et al. 1995)。この場合は、栄養競合を引き起こす「競争者」を排除するのに役立っているといえる。このようにヘテロカプサの毒性は、自らが生態的に優位に立つのに大いに役立っていると考えられ、赤潮を引き起こす要因の一つであると考えられている(Matsuyama et al. 1997, Kamiyama and Arima 1997)。
 

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