岩礁生態系の生物多様性の評価と調査の手引き |
岩礁生態系の特徴を把握し、適切に管理するために |
岩礁域には、きわめて生物多様性の豊かな生態系が存在しています。また岩礁域は、サザエ、アワビなどの貝類やタコ、イセエビ等の漁場となる他、多くの魚類の産卵場や成育場としても重要な場所です。しかし近年、日本各地の岩礁生態系に大きな変化が起きており、漁業への影響が出ている地域もあります。このページでは、岩礁域の生態系そのものを重要な資源として考え、それらを調べ、適切に管理していく方法についてまとめています。岩礁生態系に興味をお持ちの方々にとって、少しでもご理解の一助となれば幸いです。なお、このページでは、日本沿岸温帯域の潮下帯に広がる岩場のことを岩礁域と呼ぶこととします。 |
(1)岩礁生態系の特徴を知ろう |
岩礁域の水産資源を持続的に利用していくためには、その生態系がどのような構造で成り立っているか知る必要があります。生態系を形作るのは複数の異なる種から成る生物の集団で、このような集まりのことを「群集」と呼びます。群集の構成要素である生物は、それぞれの種が互いに影響し合いながら生態系の状態を維持しています。このため、群集中の何かのバランスが崩れたときには、生態系全体に大きな変化が及ぶことがあります。岩礁生態系の大きな特徴として、多様な生物から成る複雑な群集を有していることがあり、このことは「岩礁域はきわめて生物多様性が高い生態系を有する」とも言い換えられます。例えば、人間の目で見えるサイズの底生動物(海底に生息する動物の総称)群集だけをとっても、二枚貝・巻貝等の軟体動物、カニ・ヤドカリ等の甲殻類、ウニ・ヒトデ等の棘皮動物の他、多毛類、カイメン類、ホヤ類等、多種多様な分類群が含まれています。
このように複雑な生物群集を有する岩礁生態系ですが、特に「植生」と「基質」という環境の要素によってその状態は大きく左右されます。これら2つの要素が生物群集にどのような影響を与えるのか、それぞれ考えてみることにしましょう。 植生とは、その場所にどんな植物(岩礁域の場合は海藻類)がどんな量・割合で生えているかを表す言葉で、生物群集中で植物の部分だけを見たものともみなせます。岩礁域における植生の典型例は、アラメ(Eisenia bicyclis)やカジメ(Ecklonia cava)等の多年生の大型海藻が繁茂する、いわゆる海中林と呼ばれるものです。海中林は衰退と回復を一年の間に繰り返すとされますが、様々な原因から衰退状態が長期間続いてしまうことがあります1。海中林に住む底生動物群集は、主要な一次生産者である大型海藻を起点とする食物連鎖から成り立っているため(図1)、海中林が消失すると大きな構造変化を生じます。とりわけ、餌として大型海藻に強く依存するアワビ類等の植食性動物は急激な減少を示します(図2)。 |
図1 安定同位体比分析により食物連鎖構造を図示した例(2013年4月、天然礁)。 右上ほど栄養段階が高いことを表す。同一の食物連鎖を構成する種は右上がりの直線状に並ぶ。 |
図2 2011~16年の主要な動物の個体数密度変化。緑色は海中林が形成されていた時期。 |
その他、底生動物や魚類等の隠れる場や産卵場が減る、他の海藻類が入植しやすい状態になるなど、海中林が無くなることで生じる影響は多岐に渡ります。海中林消失後の岩礁では、しばしばカニノテ(Amphiroa dilatata)等の有節サンゴモと呼ばれる紅藻の仲間が海底を覆い尽くすことがあります。このような有節サンゴモ優占状態は、岩礁生態系が海中林とは異なる植生の状態にシフトしたと捉えることができます。植食性動物の多くは有節サンゴモを餌として利用できませんが、サザエ(Turbo
sazae)の稚貝(子ども)はそれらの枝の中を住みかとして利用することが知られます2,3。 岩礁の生態系には、岩盤や礫・転石等、海底面を構成する基質の特性も大きく影響します4。アワビ等の増殖を目的として作られた岩礁(人工礁)の多くは、沈められた礫同士ががっちりと組み合わさり、波などで簡単には動かない基質から成っています(図3)。 |
図3 神奈川県長井地先の人工礁の海底景観。 人為的に沈められた礫が組み合ってほとんど動かない状態になっている。 |
こうした人工礁や岩盤などの安定した基質環境では、固着性動物(カキなどの二枚貝やホヤの仲間等、岩にくっついて生活する動物)の割合が高くなる傾向があります。また、このような基質上では植生の更新が起こりづらく、一度有節サンゴモ等が優占すると他の海藻類が入植しにくい状態が続くという特徴があります(図4)。これに対し、天然の岩礁域に存在する転石の多くは波の力で簡単にひっくり返ったり移動したりするため、その表面は固着性動物にとっては生息しづらい環境と言えます。また、適度に不安定な転石上は浮泥が積もりにくく、植生の更新も頻繁に起こるため、小型海藻や無節サンゴモ類によく覆われます。こうした適度に不安定な環境を好んで生息する底生動物もおり、アワビ類の稚貝などはその代表と言えます。このように、基質の安定・不安定性による環境の違いは、岩礁生態系の群集構造に違いを生む大きな要因となっています。 ここまでをまとめると、岩礁生態系の概念図は図5のようになります。こうした要素それぞれの働きを理解することは、岩礁生態系の管理を考える上でも大切です。 |
図4 2011~16年の海藻中に占める各分類群の重量比率(%)。 緑色は海中林が形成されていた時期。 |
図5 岩礁生態系を構成する要素と関係性を示す概念図。 矢印は要素間の作用を表す。 |
(2)岩礁生態系で生物相調査をしてみよう |
ここでは、定期的な調査により岩礁生態系に生じている変化を把握するための調査・解析方法と、その結果どのようなことが分かるかについて、実際の事例を交えてご紹介します。
生態系に起きる変化を把握するには、そこに生息する生物群集の構造を調べる必要があり、このような現場調査は「生物相調査」と呼ばれます。生物群集全体を調べるのは現実的に難しいので、生態系の状態を表す指標として群集中の特定の一部を採集するのが一般的です。目に見えるサイズの底生動物の群集は岩礁のその時の状態に応じて変化し、採集も比較的簡単ですから、生態系の状態の指標として有用と言えます。
底生動物群集を定量的に調べる代表的な方法に、枠取り調査と呼ばれるものがあります。これは、大きさの決まった正方形の枠を、対象とする岩礁域内にランダムに複数設置し、枠の中の底生動物を全て採集するという調査です。潮下帯の枠取り調査では空気ボンベを背負って潜水する必要がありますが、潮間帯でも同様の方法で調査を行うことができます(図6)。 |
図6 枠取りによる生物相調査の様子(左:潮下帯、右:潮間帯)。 |
採集したサンプルは研究室内に持ち帰り、種同定や計数・計測の作業(ソーティング)を行います。生時の状態の方が正確な種同定が可能なため、できる限り採集当日にソーティングを行いますが、その日のうちに同定できなかった種については、後日専門家に依頼したり、DNA分析を行ったりして種を確定します。サンプルの保存方法は、ホルマリン等の液浸保存ではなく、冷凍保存が基本です。これは、後々DNA分析や安定同位体分析等、様々な分析に使えるようにするためです。
こうして採集された底生動物のサンプルから、種数・種組成やバイオマス等の群集に関する重要なデータを得ることができます。なお、このような生物相調査は、一回きりではなく定期的に行うことで大きな効果を発揮します。過去のデータの季節変化や経年変化を把握することは、現在の岩礁生態系がどのような経過をたどって今の状態となり、また今後どのような状態に向かっていくのか推測するための材料になるからです。 例として、中央水産研究所横須賀庁舎が長期にわたり実施してきた生物相調査5の結果を一部ご紹介します。神奈川県三浦半島西部に位置する長井地先の水深約12 mの海底には、2008年にアワビ等の磯根資源の増殖・保護のための人工礁が設置されました。この調査は、設置後の人工礁と周囲の天然礁における生態系の状態の変化を調べるために行われてきたものです。人工礁と天然礁では、2013年ごろまではカジメを主体とする海中林が形成されていましたが、2014年以降海中林が衰退し、現在は完全に消失した状態にあります(図4)。 底生動物の種数を見ると、海中林が消失する前後で大きな変化はありませんでした。しかし、群集中の種構成は2014年を境に変化していることが分かりました。例えば、アワビ類などの水産上重要な種は、海中林が消失した後に個体数密度が低下していました。しかし、同じく海藻を餌とするサザエやバテイラ(Omphalius pfeifferi pfeifferi)については、天然礁でのみ増加傾向が見られました(図2)。これらの種はアワビ類ほど大型藻類への依存性が高くないため、他の小型海藻を餌として利用することができたものと考えられます。一方で、基質の安定性が高い人工礁では有節サンゴモの圧倒的な優占状態となったため、サザエやバテイラの餌となるような小型海藻も少なく、これらの種の増加が抑制された可能性があります。その代わり、人工礁ではウラウズガイ(Astralium haematragum)という小型の巻貝が増加し、最優占種となっていました(図2)。この現象は、海中林消失後の人工礁が、ウラウズガイにとって生き残りに適した環境であったために起きたと考えられます(ウラウズガイ増加の謎を生態から考える)。多様度に全体の個体数をかけ合わせた「群集繁栄度」という概念で比較すると、優占種の影響を大きく見た場合ほど、海中林消失後の礁間の差が大きくなっていました(図7)。つまり、海中林が消失したことで人工礁に生息する種の中で個体数の偏りが大きくなったことが、礁間の群集構造の違いをもたらしたと考えられます。多様度や群集繁栄度の概念についての解説や、群集解析の具体的な方法については、こちらのリンクをご覧ください(森下の群集繁栄度)。このように、海中林が消失した際に底生動物群集がどのように応答するかは、人工礁と天然礁では異なることが分かりました。 |
図7 2011~16年の天然礁及び人工礁における群集繁栄度(q=0, 1, 2, inf)。 感度パラメータqの値が大きいほどその群集が含む優占種の与える負の影響が大きくなる。 緑色は海中林が形成されていた時期。 |
定期的に採取した底生動物のサンプルは、その他にも多くの情報を与えてくれます。底生動物の体組織中に含まれる成分(安定同位体比)を分析することで、食べる・食べられるの関係(食物網構造)を調べることができます(図1)。また、こうした生物サンプルの積み重ねは、遺伝子情報の蓄積や、特定の種の過去の生息情報を知る上でも有益です。例えば、遺伝子の解析等によって既知の種Aと姿のよく似た新種B(このような種は隠蔽種と呼ばれます)の存在が明らかになり、ある場所にも種Bが生息していると判明したとしましょう。普通なら、種Bが最近になってその場所に生息地を広げてきたのか、それとも種Aに紛れて気づかれていなかったのか判断できません。しかし、種Aの過去のサンプルが保存されていれば、種Bが以前から生息していたのかどうか時間を遡って調べることができるのです。 |
(3)岩礁域の生態系管理について考えよう |
海中林の衰退と回復に代表されるように、岩礁生態系は絶えず何らかの変化を続けています。このため、その資源を安定的かつ持続的に利用していくためには、ある程度人の手で管理していくことが必要になります。こうした管理を適切に行うために、生物相調査の結果を役立てることができます。(2)で紹介した事例のように、同じ海域でも礁の特性によって生態系の変化の過程が違うこともあるので、管理方法はそれぞれの礁の特性に応じて考えなくてはなりません。 岩礁域の生態系が我われ人間にとって望ましくない状態に向かっているとしたら、そのことをいち早く把握することが資源の安定的・持続的な利用の上で重要です。海中林の衰退した状態が長期間続くと、岩礁域の水産上の価値は低下し、経済的にも大きな悪影響が出てしまいます(図8)。これは、経済価値の特に高いアワビ類が大きく減少すること、ウニ類の身入りが悪くなり経済価値が無くなること等が原因です。底生動物への影響以外にも、稚魚の生育場やイカ類の産卵場が減少する等の間接的な影響も生じるため、資源の安定利用の上で大きな問題となります。一般的に、海中林が衰退すると生物多様性が下がると言われますが、種数や多様度の値に大きな影響が現れるとは限りません。海中林の衰退に伴って生態系がどのように変化しているか把握するには、優占種の与える影響の度合いを変えて群集繁栄度を比較するのが効果的です(図7)。 |
図8 2011~16年の天然礁及び人工礁における礁1平米当たりの経済価値を表す指数。底生動物の種ごと のkg単価仮定値(円、右表参照)と枠取り調査で得られた1 m2当たりの湿重量(kg)をかけ合わせ て計算。ムラサキウニとアカウニは海中林が衰退すると身入りの悪化により無価値化するため、 2011~13年は2000円/kg、2014~16年は0円/kgとして計算。 |
生態系の変化を察知するには、特定の生物ばかりが増えてきていないかなど、群集組成中の変化に目を光らせることも重要です。例えば、生えてきたばかりの海藻を食べてしまう植食性動物(ウニ類やバテイラ等の巻貝類)は、海中林の衰退状態を持続させる要因になりえます。このため、生物相調査でこれらの生物が過剰に増えてきた場合、駆除を行うことで海中林の衰退を食い止め、早期の回復につなげられる可能性があります。ただし、これらの生物は卵や幼生時の分散能力が高く、駆除の効果はごく短期間と考えられるため、駆除後も継続的な監視が必要と言えます。また、有節サンゴモやウラウズガイは、岩礁域の経済的な価値が低下していることを示す指標となるため(図9)、これらの生物が増加してきたら注意する必要があると言えるでしょう。 また、近年では底生動物に加えてアイゴ等の植食性魚類が与える影響も大きいと考えられるため(図10)、刺し網等を利用した大型海藻の防護も対策となります。 水中カメラによる魚類の行動の定点観察の手法については、こちらのリンクをご覧ください(カメラで調べる魚類の多様性)。 |
図9 礁1平米当たりの経済価値を表す指数(縦軸、図8参照)と、有節サンゴモの全藻類の湿重量中に占める割合(左)及びウラウズガイの個体数密度(右)との関係。 |
図10 植食性動物によるカジメに対する摂食圧を測定する実験(2016年9~10月実施)において、水中カメラによるタイムラプス撮影で得られた写真の例(左)と、実験後の藻体に残されたアイゴのものと考えられる摂食痕。 |
すでに大型海藻が完全に消失してしまっている岩礁では、ただ待っていても海中林の回復は見込めません。海中林をゼロから造成する場合には、直接海藻を移植するなどの方法を用いますが、その計画を立てる上でも生物相調査の情報が役立ちます。人工礁のように安定した基質から成る礁では、有節サンゴモに基質の表面の大部分が覆われることがあります。有節サンゴモは他の海藻の胞子(遊走子)の着生を阻害するため、移植した海藻を次世代につなげるには、新たな基質となる岩やブロックを投入したり、基質上の有節サンゴモを除去したりする必要があります。また、植食性動物が過剰に存在する岩礁域の場合は、海藻の移植場所として避けるか、それらの駆除を行った上で移植を実施することが必要です。 上に述べたように、岩礁域の資源の安定的かつ持続的な利用のためには、生態系管理を適切に行う必要があります。このように人の手を加えることで生産性が維持された沿岸海域は「里海」とも呼ばれ6、その意義がだんだんと認知されてきています。なお、今後は温暖化など地球規模の環境変化が進行することによる沿岸域への影響も危惧されています。海水温の上昇は、海中林の衰退のほか、新たな生物の移入や既存の種の絶滅などを引き起こし、結果として沿岸岩礁域の生産性を低下させる恐れがあります。こうした大きな変化に対して順応的に管理方策を考えるためにも、継続的な生物相調査を行うことで生態系の変化の過程をモニタリングしていくことの重要性は高まっていると言えます。 |
◆引用文献 |
1. 谷口和也(1998)「磯焼けを海中林へ,-岩礁生態系の世界-,ポピュラーサイエンス」裳華房,東京. 2. Hayakawa, J., Kawamura, T., Ohashi, S., Horii, T., & Watanabe, Y. (2008) Habitat selection of Japanese top shell (Turbo cornutus) on articulated coralline algae; combination of preferences in settlement and post-settlement stage. Journal of Experimental Marine Biology and Ecology, 363(1), 118-123. 3. Hayakawa, J., Kawamura, T., Kurogi, H., & Watanabe, Y. (2013) Shelter effects of coralline algal turfs: protection for Turbo cornutus juveniles from predation by a predatory gastropod and wrasse. Fisheries science, 79(1), 15-20. 4. 川俣茂(1994)磯根漁場造成における物理的攪乱の重要性.水産工学, 31(2), 103-110. 5. 丹羽健太郎・寺本航・黒木洋明(2016)浅海域の造成漁場と天然礁における底生生物相 (特集 沿岸漁場における生物多様性). 海洋と生物, 38(6), 667-674. 6.柳哲雄(2006)「里海論」恒星社厚生閣,東京. |