研究概要

「赤潮」は古くから水産業を脅かす大きな原因の一つです。赤潮から魚介類を守るため、多くの先人たちが努力と工夫を重ねてきました。このような赤潮を防除することを目的として、過去に赤潮の海面回収、超音波、海水循環、オゾン、過酸化水素,硫酸アルミニウムなどを用いた、物理的・化学的対策が試みられてきました。ところが、いずれも海洋面積に対する経済性の問題や、生態系への悪影響・安全性などの問題からほとんど実用化には至りませんでした。唯一、九州南部や韓国・中国で利用されているのが多孔質粘土を用いた赤潮駆除法であり、現場で一定の効果をもたらしています。しかしながらこの方法も、長期間に渡って粘土を投入した場合の底質生態系への影響が懸念されています。

一方、生態系に対する安全性の高い生物学的赤潮防除法として、赤潮を形成する鞭毛藻類の栄養塩競合者である珪藻類を用いた赤潮防除法、殺藻バクテリアを用いた赤潮防除法、そして天然の抗赤潮因子ともいえる殺藻ウイルスを用いた赤潮防除法が提案されています。このホームページでは、この赤潮原因生物に感染して殺すウイルスの生理生態学的性状について紹介します。水産業へのダメージの原因となる赤潮原因プランクトンには様々なタイプがいますが、ここでは珪藻とウイルスの関係について着目した研究成果を中心に解説します。

ガラスの殻で覆われている珪藻

珪藻は単細胞生物で、その周りはガラスと同じ成分で構成される弁当箱のような形をした殻で覆われています。生長速度は一般的に他の藻類よりも早く、栄養豊富な海域で繁茂します。

珪藻は地球上のメジャープレイヤー

珪藻は地球上で最も多様かつ現存量の豊富な海産植物プランクトンの一種です。海洋の基礎生産や大気圏への酸素供給といった点できわめて重要な役割を果たしている微生物であるといえます。例えば、海産珪藻の全体量は熱帯雨林のそれに匹敵し、地球上の酸素生産量の約1/4をまかなっているとの試算結果もあります。そのため、珪藻の現存量が、どのような要因で増加したり減少したりするのかを理解することは、水産業や地球環境を考える上で非常に重要なことなのです。


珪藻群集

悪者としての珪藻

珪藻は上述のように非常に重要なプランクトンなのですが、水産業上「非常に厄介な生物」という側面も持っています。問題の構図は次のようになっています。みなさんが良く知っている寿司やおにぎりに使う「海苔」ですが、その海苔の原料である海藻の生産は冬季に行われています。ノリはその成長に海水中の燐や窒素(NP)を必要としますが、同時に珪藻もそれらを利用して生長しています。そこで、栄養源をめぐってノリと珪藻で競争が起こります。しかしながらノリ養殖海域でしばしば観察される珪藻(Chaetoceros属,Coscinodiscus属,Eucanpia属,Skeletonema属)の生長は早く、しばしばノリは栄養不足に陥り、結果としてノリの「色落ち」という現象が生じます(写真)。色落ちしたノリは商品価値が下落するため、ノリ養殖産業にとって珪藻の大増殖は深刻な問題となっています。


右側が色落ちしたノリ

その他に問題となる珪藻として、

  • 漁網などの目を詰まらせる、ヌタ状の群体を形成する珪藻(Thalassiosira属)
  • 毒を生産してそれを食べた貝を毒化させる珪藻(Pseudonitzschia属)
  • 高密度に出現して、魚のエラをつまらせて窒息死させる珪藻(Chaetoceros属)

などが知られています。

珪藻の挙動

海洋に棲む微細藻類の増殖速度は基本的に水温・塩分・栄養塩などの物理・化学環境条件に強く影響を受けると考えられます。珪藻ももちろん例外なくそれらの要因に支配されるといってよいでしょう。しかしながら増殖した珪藻の行方に関しては、未だ研究途上の段階にあります。増殖した珪藻は動物などによる捕食・自然沈降・シスト(種)形成による沈降・環境悪化による死滅・カビなどの寄生等々により減少していくと考えられますが、まだ十分理解されていないのが現状なのです。そのような背景のもと、我々は珪藻に感染して殺すウイルスの存在を、2002年に世界に先駆けて直接的に証明することに成功しました。この発見により、珪藻の挙動、特に消滅の過程にはウイルスが大きな役割を果たしていることが推察されました。

珪藻ウイルス

これまでの継続的な努力により、珪藻に感染するウイルスは現在10種類以上確認されています。いずれも粒径が22-38 nm程度の小型球形ウイルスで、ゲノムは1本鎖RNAもしくは1本鎖DNAで構成されています。遺伝学的解析からはそれらが既知のウイルス集団には属さない新奇なウイルスであることが徐々に解明され、現状では珪藻感染性RNAウイルス属(Bacillarnavirus属)ならびに珪藻感染性DNAウイルス属(Bacilladnavirus属)が国際ウイルス分類委員会で認められています。珪藻ウイルスの生態学的知見はいずれの種に関してもまだ十分蓄積されていませんが、共通しているのは珪藻が赤潮状態になったときには、同じ海水からそれらに感染するウイルスがほぼ同時に検出されるということであります。このことはウイルスが高密度に増殖した珪藻(珪藻ブルーム,珪藻赤潮)に対して、密度を減少させる方向に作用している可能性を示唆するものと考えられます。


Asterionellopsis gracialis RNA virusの
ネガティブ写真

Chaetoceros debilisにDNAウイルスを
接種して4日目(右)

珪藻ウイルスの利用

天然海域に存在する微生物を利用して赤潮を防除しようというコンセプト(微生物学的赤潮防除剤)で開発を行う場合、次のような点が不可欠であると考えられています。

① 高い複製能を持つこと
② 低価格で生産可能であること
③ 防除作用の種特異性が高いこと

珪藻ウイルスはこのような観点では非常に有利な特性を持つと思われます。

まず珪藻ウイルスは宿主珪藻に感染後1-2日程度で、数千倍から数万倍の感染性を持った粒子を複製して、再び水中に放出されます。例えば単純に計算すると、珪藻1万細胞がウイルス感染すると、そこから数日後には、1,000万~1億個のウイルス粒子が放出されることになります。
また珪藻の培養は海水がベースとなり、それに市販の栄養塩を添加するだけですので、比較的安価に生産可能と考えられます。
さらに珪藻ウイルスの種特異性は非常に高く、宿主珪藻種以外の近縁種に感染が成立した例は今まで一度もありません。

このような観点からウイルスを利用した赤潮防除法というものが、赤潮の制御方法の一つの方向性として注目されています。

非常に限定的で箱庭的実験ではありますが、ノリが成長している環境に珪藻が繁茂した時に、珪藻感染性のウイルスがいる場合といない場合とで比較を行った例を紹介したいと思います。写真とグラフでわかるように、珪藻感染性ウイルスを入れたフラスコ①では珪藻の増殖が抑えられてノリの成長が認められるのに対し、不活化(滅菌)ウイルス入のフラスコ②では珪藻が活発に増殖し、ノリの生長はそれほど大きくありませんでした。

問題点

以上のように、珪藻ウイルスを産業に利用することに関しては、様々な有利な点があります。しかしながら今後、合理的な利用方法を開発していく上では、超えなければならない様々な問題点があります。多くの場合、珪藻は様々な種類が混在する「混合赤潮」の状態で発生するため、1種類の種を攻撃するウイルスだけを用意すればいいという訳にはいきません。様々なウイルスを準備し、それらの性状を全て理解しておくことが重要です。また珪藻とウイルスの生態学的関係は、未だ十分に理解されているとは言えない状況です。赤潮をウイルスで制御するためには、現状の生態システムを十分に理解し、それを踏まえた上での戦略を練る必要があります。

そこで我々は、珪藻とウイルスとの生態学的関係を明らかにするため、日々努力を続けています。

ヒント

カキやアサリなどの二枚貝を特異的に殺してしまう渦鞭毛藻(Heterocapsa circularisquama)は、1990年代に西日本を中心に大発生し、二枚貝養殖産業に大きなダメージを与えました。現在でも様々な海域で突如発生することが確認されています。我々はこの渦鞭毛藻にも感染性ウイルスが存在することを突き止めました、さらにそれらのウイルスは赤潮発生海域(天然環境)の海底泥中に相当量蓄積されており(Tomaru et al. 2007)、泥ごと凍結保存可能なことも明らかにしてきました。この一連の研究を基に、天然の泥に蓄積されたウイルスを有効利用しようというアイデアが提案されました。

我々は同様に、珪藻ウイルスも天然の泥中にかなり蓄積されていることを、現場観測調査から明らかにしています。将来的には、海底泥を積極的に利用するような赤潮制御手法が現実になるかもしれません。

植物プランクトンも「ウイルス」に感染する

藻類ウイルス研究を解説したポスターを、岩国市ミクロ生物館の末友靖隆博士と共同で作成しました。小学校5年生以上を対象として、わかりやすく解説しています。

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